第1回古墳の石棺と石材


石棺を発見し分析しますと、ほとんどの石棺が置かれている地域から切り出された石材であることが分かってきました。そこには地区独自の石切り場が存在しています。岩石の種類としては砂岩、安山岩、まれに花崗岩もみられるが、ほとんどが凝灰岩です。同じ種類の岩石の種類であっても、地域独特の呼び名をもっていいます。

 

例えば、よく古墳の石室に使われている室生火山岩(溶結凝灰岩)が榛原町付近では「榛原石」・室生では「室生石」名張では「名張石」と呼ばれています。それは産出される石材の特殊性を謡うものでしょう。

石棺を発見し分析しますと、ほとんどの石棺が置かれている地域から切り出された石材であることが分かってきました。そこには地区独自の石切り場が存在しています。岩石の種類としては砂岩、安山岩、まれに花崗岩もみられるが、ほとんどが凝灰岩です。同じ種類の岩石の種類であっても、地域独特の呼び名をもっていいます。

 

例えば、よく古墳の石室に使われている室生火山岩(溶結凝灰岩)が榛原町付近では「榛原石」・室生では「室生石」名張では「名張石」と呼ばれています。それは産出される石材の特殊性を謡うものでしょう。


古墳時代の石棺の推移

大阪府柏原市安福寺:刳抜式割竹石棺


丹後蛯子谷古墳:舟形石棺


高槻市前塚古墳:長持形石棺


斑鳩藤ノ木古墳:家形石棺


左・二上山白石 中央・ピンク石 

左奥・竜山石(黄色)

今城塚古墳・復元石棺

【石棺の形態の推移】

 遺体を収める石棺には、板石や扁平な自然石を組み合わせただけで、多くの場合底石のない、やや小型の箱石棺と加工石材を使用した大型の石棺とがある。

 箱式石棺は縄文後期を中心に東日本で発達したものと、弥生時代の初めに稲作文化の一要素として朝鮮半島から北部九州に伝わったものとがあり、弥生時代に伝わったものが古墳時代に分布を広げ、おもに民衆の棺となった。そして大型加工材の石棺は古墳時代の首長層の棺となっていった。

 様式は4世紀後半に北部九州を中心に、割竹式石棺・舟形石棺や組合せ式の不定形箱型の石棺が登場し、5世紀には近畿中央部を中心に組合せ式の長持形石棺が出現してくる。6世紀には近畿中央部や山陽・東海などの一部や中部九州や島根東部などで地域色をもつ刳抜式や組合式の家形石棺が盛行し一部は7世紀におよぶ。そのご飛鳥・奈良時代の律令制による薄葬令などにより、祭祀が古墳から寺院へと移って行き、特に石棺は作成されなくなっていった。

 


【石棺の石材】

1)竜山石(兵庫県高砂市)

4世紀末の津堂城山墳(古市古墳群)の長持形石棺から5世紀末まで、特に5世紀を代表する石棺の石材には兵庫県の竜山石が使われ、近畿中央部とその周辺の大型前方後円墳を中心に使用されていることから、初期の大和王権と地域の有力首長や、その豪族との密接な関係にある首長が採用していたと考えられる。


2)二上山白石(奈良県と大阪府の県境)

二上山の北から南麓の岩屋峠付近にかけて白色の凝灰岩が分布する(鹿谷寺(ろくたんじ)跡周辺)。ちなみに屯鶴峰周辺から採取される石英安山岩はサヌカイトと呼ばれる。屯鶴峰の火砕流堆積物は雌岳の火山の噴出物とされ、火砕流層が30ほどであり、火砕流が30回ほどあったことになる。石棺の石材として利用できるのは火砕流が水底に堆積したものである。二上山白石の刳抜式石棺は、近畿地方で本格的な横穴式石室を採用した古墳後期の大和中心勢力の石棺で、後の組合せ式家形石棺を展開するにいたって、大和政権の拡大とともに家形石棺が地方豪族にも広がった。


3)ピンク石(熊本県宇土市)

熊本県宇土市に産出する阿蘇ピンク石(馬門石)阿蘇溶結凝灰岩

石棺の石材は産出地から搬出されて遠隔地の古墳に用いられる場合でも、必ず石材産出地の近隣に数多くの石棺が発見されてきた。ピンク石の石材は家形石棺がほとんどで、二上山の白石は家形石棺の石材であることから、ピンク石の産地も二上山であると考えられていた。しかし熊本県宇土半島の山中にピンク石の露頭を見せる一ヶ所が特定されたことによって熊本県が産出地であることが判明した。

不思議なことに、ピンク石による家形式石棺の形態は九州の石材でありながら、作成する技術が近畿的な長持石棺の形に近く(蓋の形状が刳抜式の身につくり印籠蓋合わせにしているところなど)と、分布の中心が大和であって九州には皆無である。

それは、阿蘇ピンク石家形石棺が畿内中心部の勢力のための棺として、九州の石材が用いられたと解釈される。野神古墳、別所鑵子塚古墳。兜塚古墳、金谷の石棺、東乗鞍古墳、継体大王の陵墓とされる三島今城塚古墳がある。